フレンチ御三家 クリスチャン・ディオールの巻(1)
2006年 04月 08日
名作といわれる化粧品を語るとき、われわれ世代に欠かせないのが、外資系の御三家 つまり、シャネル、ディオール、サンローランの3大フレンチブランドではないでしょうか?
いまの若い人たちは気づいたときには周りがコスメだらけの世の中だったかもしれませんが、70年代80年代を過ごしてきた女性にとって、常に憧れであり、楽しみでもあったのが、このフレンチ御三家の口紅やネイルであり、アイシャドウであり、フレグランスであったのだと思います。
この御三家に共通なのは、フランスのブランドであることと同時に、3人の類い稀なるクチュリエ(自分のメゾンを抱えるファッションデザイナー)本人がスタートさせた化粧品ブランドであること。
まず天才ありき。そしてその天才がファッションを生み出すと同時にファッションから発想を得たカラーをモードの仕上げとして創り上げたのが、これら御三家ブランドの始まりなのです。
そこでこれからしばらくの間、このフレンチ御三家についてを掘り下げてお話していこうと思います。
まずは昨年、1905年生まれだったムッシュ クリスチャン・ディオールの生誕100年のお祭りがフランスで華やかに行われたクリスチャン・ディオールのブランドの成り立ちと名作について、話を始めていきたいと思います。
クリスチャン・ディオール氏の簡単なプロフィール
ノルマンディー グランヴィルの裕福な家庭の次男として1905年1月21日生まれる。
パリで服作りを学び、46年(41歳)でモンテーニュ通り30番地に自身のメゾンを開き、47年の春夏コレクションにでデビュー。このコレクションが「ニュールック」と呼ばれ世界にセンセーションを巻き起こし、一躍時の人に。
49年の秋冬コレクションでは、わずか1週間で1200着ものドレスの注文を受けるなど絶大な人気を博し、50年にかけて、フランス国内にのみならず、イギリス、アメリカ、ロシア、レバノン、インド、オーストラリア、アルゼンチン、日本・・・顧客には、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ジュリエット・グレコ、ローレン・ハコール、マレーネ・ディートリッヒ、ウィンザー公爵夫人、マーガット王女、ロスチャイルド夫人・・・こうして、戦争の打撃で落ち込んでいたフランスクチュール界を復興させるが、57年、心臓発作のため、旅先のイタリアで客死。
亡くなった旅先は、スパ好き旅好きイタリア好きな方ならご存じのテルメデモンテカティーニという温泉療養地。あまりの激務に過労気味のムッシュを見た友人が少し休みをとるようにすすめ、ムッシュもそれに従って出かけた保養のための旅先での急死でした。
ムッシュが肌身はなさず持っていた小さな手帳は、57年10月 depart en Italie イタリアへ出発 という書き込みで確かに終わっています。
葬儀は10月29日、パリ16区の教会で行われました。棺の中でなきがらに寄り添ったのは季節はずれのスズランの小さな白い花たちでした。
そう。ムッシュが愛していつも持ち歩いていたお守りのひとつがスズランの花。
5月になるとグランヴィルの生家の庭のある場所に咲いたスズランの花は、ディオールにとって幸運と成功をもたらすラッキーチャームだったのです。47年、初のコレクション発表時にも、ボタンホールにスズランの花を挿して舞台に登場したのだとか。
もちろんドレスやミュールのデザインのモチーフとしても、数多くスズランを使っていますが、5月のわずか2週間しか花をつけないというデリケートな花、スズランの香りをなんとかいつでも手の届くところにおきたい、という願いから作られたのが、スズランの花の香りを人工的に化学的に再現することに世界ではじめて成功した「ディオリシモ」だったのです。
ディオリシモというのはディオールという名前を最上級活用させたもの。すなわち
最もディオールらしいもの
という名前なんですね。ディオリシモの完成は1956年。ディオールが亡くなるわずか1年前でした。みなさんの中でも多くの人がこの香りを知っていると思いますが、こんなに長い間、愛されてきた香りなんですよ。すばらしいベストセラーのひとつです。
あの故ダイアナさんも愛用なさっていたという香り。少女のころの無垢な心、大人の世界にちょっぴり背伸びして入ったような優越感、清楚で、可憐で、もろくはかなくこわれやすいスズランの香りをそのまま象徴するようなイメージの香りです。
技術の革新でいまは真冬だろうと真夏だろうと、温室栽培のスズランがコネクションとお金さえあればいつでも手に入ります。けれど、スズランのほのかな芳香は、温室栽培の花からは香らないのです。元来スズランはとても難しい花で、直射日光があたっても風が強くてもダメ。かといって日が当たらなければダメ。広い広いディオール家の庭の中でもスズランが育つのはある一ヶ所だけだと庭師の方が教えてくれました。そうして大事に大事に育てられてはじめて、1年の2週間だけかすかな香りを放つのがスズランという花なのです。
フランスでは5月1日にスズランをお母さんにプレゼントする習慣がありますので、5月にフランスにいくと花やさんいっぱいにスズランが飾られているのにでくわします。フランス語でスズランはミュゲ。私は母の日にスズランをプレゼントするとばかり思い込んでいたのだけど、5月1日にスズランをプレゼントされると幸せになれる、っていういいつたえがあるんだって。だからみんな大事な恋人や友達や家族にすずらんを買うそうです。そしてこの日は誰でもスズランを売っていいことになってるから街で子供がブーケを売ってるって光景もアリなんだ。一方でメーデー(労働者の日 フランスでは労働者パワーが強いからみんなストして闘うなんか野戦的な日のイメージがあるけど)一方でスズランの日。フランスの2つの面がよく出ている日なんですね。
ともあれ、スズランのほのかな香りを化学的に作り出すことは当時の技術ではたいそう難しいことだったらしいです。成功したとき、ムッシュはどんなに喜んだでしょうね。そうして大切にいつも持ち歩いていたに違いありません。
今度ディオリシモの香りを嗅ぐどきはぜひ、そんなことを思い出しながら、試してみてください。
ディオリシモのボトルを包む
ピンクとグレーの箱の色は、
グランヴィルの
ディオール家の外壁の色。
ムッシュのクリエーションの源はいつもこの生家と生家の庭にあったのです。そういえば有名なムッシュのドレスに「5月」ってタイトルのものがある(メトロポリタン美術館所蔵)。ムッシュはスズランの花が咲き、スズラン祭りのある5月が大好きだったんですね。
いまの若い人たちは気づいたときには周りがコスメだらけの世の中だったかもしれませんが、70年代80年代を過ごしてきた女性にとって、常に憧れであり、楽しみでもあったのが、このフレンチ御三家の口紅やネイルであり、アイシャドウであり、フレグランスであったのだと思います。
この御三家に共通なのは、フランスのブランドであることと同時に、3人の類い稀なるクチュリエ(自分のメゾンを抱えるファッションデザイナー)本人がスタートさせた化粧品ブランドであること。
まず天才ありき。そしてその天才がファッションを生み出すと同時にファッションから発想を得たカラーをモードの仕上げとして創り上げたのが、これら御三家ブランドの始まりなのです。
そこでこれからしばらくの間、このフレンチ御三家についてを掘り下げてお話していこうと思います。
まずは昨年、1905年生まれだったムッシュ クリスチャン・ディオールの生誕100年のお祭りがフランスで華やかに行われたクリスチャン・ディオールのブランドの成り立ちと名作について、話を始めていきたいと思います。
クリスチャン・ディオール氏の簡単なプロフィール
ノルマンディー グランヴィルの裕福な家庭の次男として1905年1月21日生まれる。
パリで服作りを学び、46年(41歳)でモンテーニュ通り30番地に自身のメゾンを開き、47年の春夏コレクションにでデビュー。このコレクションが「ニュールック」と呼ばれ世界にセンセーションを巻き起こし、一躍時の人に。
49年の秋冬コレクションでは、わずか1週間で1200着ものドレスの注文を受けるなど絶大な人気を博し、50年にかけて、フランス国内にのみならず、イギリス、アメリカ、ロシア、レバノン、インド、オーストラリア、アルゼンチン、日本・・・顧客には、リタ・ヘイワース、エヴァ・ガードナー、ジュリエット・グレコ、ローレン・ハコール、マレーネ・ディートリッヒ、ウィンザー公爵夫人、マーガット王女、ロスチャイルド夫人・・・こうして、戦争の打撃で落ち込んでいたフランスクチュール界を復興させるが、57年、心臓発作のため、旅先のイタリアで客死。
亡くなった旅先は、スパ好き旅好きイタリア好きな方ならご存じのテルメデモンテカティーニという温泉療養地。あまりの激務に過労気味のムッシュを見た友人が少し休みをとるようにすすめ、ムッシュもそれに従って出かけた保養のための旅先での急死でした。
ムッシュが肌身はなさず持っていた小さな手帳は、57年10月 depart en Italie イタリアへ出発 という書き込みで確かに終わっています。
葬儀は10月29日、パリ16区の教会で行われました。棺の中でなきがらに寄り添ったのは季節はずれのスズランの小さな白い花たちでした。
そう。ムッシュが愛していつも持ち歩いていたお守りのひとつがスズランの花。
5月になるとグランヴィルの生家の庭のある場所に咲いたスズランの花は、ディオールにとって幸運と成功をもたらすラッキーチャームだったのです。47年、初のコレクション発表時にも、ボタンホールにスズランの花を挿して舞台に登場したのだとか。
もちろんドレスやミュールのデザインのモチーフとしても、数多くスズランを使っていますが、5月のわずか2週間しか花をつけないというデリケートな花、スズランの香りをなんとかいつでも手の届くところにおきたい、という願いから作られたのが、スズランの花の香りを人工的に化学的に再現することに世界ではじめて成功した「ディオリシモ」だったのです。
ディオリシモというのはディオールという名前を最上級活用させたもの。すなわち
最もディオールらしいもの
という名前なんですね。ディオリシモの完成は1956年。ディオールが亡くなるわずか1年前でした。みなさんの中でも多くの人がこの香りを知っていると思いますが、こんなに長い間、愛されてきた香りなんですよ。すばらしいベストセラーのひとつです。
あの故ダイアナさんも愛用なさっていたという香り。少女のころの無垢な心、大人の世界にちょっぴり背伸びして入ったような優越感、清楚で、可憐で、もろくはかなくこわれやすいスズランの香りをそのまま象徴するようなイメージの香りです。
技術の革新でいまは真冬だろうと真夏だろうと、温室栽培のスズランがコネクションとお金さえあればいつでも手に入ります。けれど、スズランのほのかな芳香は、温室栽培の花からは香らないのです。元来スズランはとても難しい花で、直射日光があたっても風が強くてもダメ。かといって日が当たらなければダメ。広い広いディオール家の庭の中でもスズランが育つのはある一ヶ所だけだと庭師の方が教えてくれました。そうして大事に大事に育てられてはじめて、1年の2週間だけかすかな香りを放つのがスズランという花なのです。
フランスでは5月1日にスズランをお母さんにプレゼントする習慣がありますので、5月にフランスにいくと花やさんいっぱいにスズランが飾られているのにでくわします。フランス語でスズランはミュゲ。私は母の日にスズランをプレゼントするとばかり思い込んでいたのだけど、5月1日にスズランをプレゼントされると幸せになれる、っていういいつたえがあるんだって。だからみんな大事な恋人や友達や家族にすずらんを買うそうです。そしてこの日は誰でもスズランを売っていいことになってるから街で子供がブーケを売ってるって光景もアリなんだ。一方でメーデー(労働者の日 フランスでは労働者パワーが強いからみんなストして闘うなんか野戦的な日のイメージがあるけど)一方でスズランの日。フランスの2つの面がよく出ている日なんですね。
ともあれ、スズランのほのかな香りを化学的に作り出すことは当時の技術ではたいそう難しいことだったらしいです。成功したとき、ムッシュはどんなに喜んだでしょうね。そうして大切にいつも持ち歩いていたに違いありません。
今度ディオリシモの香りを嗅ぐどきはぜひ、そんなことを思い出しながら、試してみてください。
ディオリシモのボトルを包む
ピンクとグレーの箱の色は、
グランヴィルの
ディオール家の外壁の色。
ムッシュのクリエーションの源はいつもこの生家と生家の庭にあったのです。そういえば有名なムッシュのドレスに「5月」ってタイトルのものがある(メトロポリタン美術館所蔵)。ムッシュはスズランの花が咲き、スズラン祭りのある5月が大好きだったんですね。
by tekumaku_w
| 2006-04-08 17:04